東日本大震災によせて




大切なのは言葉で伝えること。
まずもって、かだっからきいてけさいん 代表 田畑祐梨さん



―活動の内容を聞かせてもらえますか?

「まずもってきいてけさいん」とは、“とりあえずお話をするので聞いてください”という意味です。南三陸出身の中・高校生16人で語り部をしています。2013年3月11日立ち上げて、南三陸の他、秋田・青森、東京でも活動しています。

―なぜ語り部の活動を始めようと思ったのですか?

神戸の町が震災後1、2年で綺麗になったように、南三陸も大人が何とかしてくれるだろうと考えていたのですが、2年経った時に何も変わっていませんでした。「大人達は何をしてきたんだろう」と思う反面、大人に甘えて自分も何もしていないじゃないかとも思ったんです。何もしない大人と一緒にされたくはないから、できることは何かと考え出しました。何をするにしても自分の好きなことでないと続かないと、飽きっぽい性格から自覚しているので、人と関わったり、おしゃべりが好きなことから「語り部」に行き着きました。普通の語り部はたくさんおられるので、同じことをしても仕方ないですし、自分達は若いのだから、若い人を相手に語り部をしよう、と思いました。中学生の子達が年配の方から聞くよりも、歳の近い自分達から聞く方が親近感もあるじゃないですか。共感した方が心に響くし、自分に置き換えて考えることもできるはずです。例えば震災時、携帯電話が使えなかったことや、年頃の女の子が2週間もお風呂に入れなかったこととか…自分達にとって衝撃的だったことを若い人達に話せば、もっと防災・減災についての意識が高まるのではないかと思ったんです。
また、外国人がたくさん来られるので英語での語り部もしています。地方なので英語を話せる人が本当に少なく、来て下さる海外の方に伝えられないのが残念だったし、申し訳なく思いもしていました。自分達にとっても、英語の勉強になるので良い経験にもなります。海外は地震・津波に対して、日本よりも防災・減災の意識が低いと思うので、気にするきっかけにもなるのではとも思っています。
2013年12月9日の時点で、2,850人に語り部をさせていただきました。現在では3,000人を越えてるのではないでしょうか。

―防災・減災について伝えていることはありますか?

一番早くできる防災・減災とは「ありがとう」「だいすき」と伝えることだと、毎回語り部では言っています。言葉にするだけでできる一番簡単な防災・減災です。今回の震災で、生と死は隣り合わせにあると身に染みて感じました。震災が起きて一番悲しいのは、死です。生きている間に言葉にしなければ伝わらない、当たり前は当たり前でない、と震災から学びました。「ありがとう」と「だいすき」は言われて傷付く人は誰もいない魔法の言葉だから、どんどん使って下さいと語っています。その次には防災グッズ(寝袋・薬・カンパン等)を揃えることですかね。被災時、一番必要だったのが食料や水だったので、今は人に分けてあげられる分も考え備えています。

―震災後、自分自身の変化はありますか?

「ここで地震が起きたら…」と常に考えるようになりましたね。すぐに高い所を探すとか。春から大学に通うための住居探しの時も「ここは低いな」と気になったり。選んだのは通学には少し不便ですが、坂の上です。
今春より大学へ通うことにより、両親に学費を負担させることになりました。大学に行きたいと言った時「あなたが大学に行くと家を建てられないのよ」と言われたんです。それでも行きたいと、進学を決めたので申し訳なく思いもしますが、その分しっかり学ぼうと思っています。将来的に起業したいと考えているので、そこに必要なものが国際共有であり異文化コミュニケーションであるので、必要な知識を大学で学びたいと考え、国際関係学部の国際共有学科に通います。

―以前から国際的な事に関わっていたのですか?

2013年夏、東北の120人の学生が3週間アメリカへ行かせてもらえる機会があったんです。
私は幼稚園から英語を習っていたので、話せる自信があったのですが、現地で全然話せなかったんですね。ホームステイ先のホストファミリーが優しかったから日常生活には支障はありませんでしたが、想像以上に話せなかったことにショックを受けて帰国して、日本の英語教育に疑問を持ったんです。今までこんなに英語を勉強したのに、全然駄目じゃないかって。東北の友達はみんな「話せなかった」と言ってましたが、関東・関西の友達はみんな英語が話せるんです。なぜこんなに違うのかなぁって疑問に思っていたら、関東・関西には国際交流があり、周りに外国の人もいるからと言われたんですね。地方に同じことは当てはまらない、国際交流なんて一度もありませんでした。今だに外国人を見たら逃げたり、英語を話せる方がおかしく思われる土地柄なんです。この地域差を、なんとかしたいんです。英語を使った仕事に就くのが夢で、頑張って勉強しても最後に通用しなかったら、夢を諦める人が出てきてしまうじゃないですか。小さい子が夢を諦めず、叶えられるレベルまで差を無くして、地方の子も平等に夢を叶えられる社会に、世界にしたいんです。

―将来的に考えている起業とは?

東北にツリーハウスを造り、子ども達の研修宿泊施設にするビジョンを描いています。海外から子供達を招き日本のことを知ってもらいながら、東北の子ども達には国際交流をしてもらう場です。スポーツを通じてお互い意識交流させて、伝えることを段階的に学ばしたりして、英語が話せたらいいなと思うところに繋がればいいなって思っています。国内でも都市部の子供達に自然体験をさせてあげられますしね。日本は残飯の多い国ですよね。世界では食べられない人もいるのに。「いただきます」に込められた意味の大切さを知らない子が多いので、酪農・農業を自分で作って大変さを体験して知って欲しいとも思います。酪農・農業をされる人たちと連携することによって、地域活性にも繋がるのではないかとも考えています。

―ビジョンが出来上がっているんですね。

はい。ツリーハウスで宿泊費は頂くとして、運営していくにはどうすれば良いのかも考えています。企業へCSRの一環として子供達の意見を提供し、資金にるかな、とか。大人になりたくないと自分が思っているので、私の持つ悪いイメージのある大人にも、子どもの意見を聞くことによって夢を描いてもらえたら仕事にも夢ができるかな、なんて思います。

―活動を始めてから変わったことはありますか?

活動を始めてのこの1年でたくさんの人と出会い、いろいろなことを学び、良い経験をしました。自分の時間は無くなりましたが、それでも初めて良かったです。それまでの2年間は復興について考えもせず、家にいることが多かったので…。震災児と言うことでいじめられることもありましたから。
そして、早く出たいと思っていた町を、大好きになりました。小さな町が一生懸命で、人々は歯を食いしばって頑張っていて、こんな中でも笑顔でいれる人達のことを素敵だと思えるし誇りに思います。震災で町の灯りが無くなって、星の綺麗さにも気が付きました。星も一生懸命輝いていて、人も自然も一生懸命。春に南三陸を離れることが、今では寂しいです。

―東北の復興については、どう思いますか?

復旧のスピードはまずまずだと感じますが、復興は遅いです。気仙沼の方が少し早い気がしますね。南三陸はかさ上げも進んでいませんから。町の人が本当に笑えるのは、まだまだ先だと思います。コミュニティが狭いのは良くも悪くもありますが、若い子が意見を言える、町づくりに参加出来るようにすれば、もっと活性化には繋がるのではないでしょうか。自分の起業が実現して、地元の子供が地方に出て行かなくても学べる場所になれば、これも活性化へのきっかけになるかもしれないと思っています。取り壊すか否か結論の出ない防災庁舎は、自分は残すべきだと思いますが、町の人達が辛くない方向で進めて欲しいと願っています。津波に流されるまでは町があって、家があった場所で、「自然が綺麗ですね」と言われた時、少しショックだったので、防災庁舎もなくなってしまうと跡形もなくなってしまいますし、人を導く要素もあるので。でも、語り部ではあまり行かない場所なんです。防災庁舎でも人が亡くなりましたが、周りの土地一つ一つにも亡くなっている人がいることを忘れて欲しくないので。起業の話の進み具合にもよりますが4年後、学生生活が終わったら、南三陸でないかも知れませんけど、東北に戻ってきたいと思います。
これからの支援は、人と人の繋がり。「また来るね」と言ってもらうと、次までの頑張れる力になるんです。東北に、来て下さい。




田畑祐梨さん 18歳
宮城県本吉郡南三陸町出身。2013年3月11日に立ち上げた、地元出身の中高生で作る語り部団体「まずもって、かだっからきいてけさいん」代表。活動は南三陸だけに留まらず、東京や関西でも学生主催のトークイベントなどに参加。






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