2011年3月11日、まさに未曾有の災害が日本を襲いました。
宮城県三陸沖を震源とした「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とそのご家族の皆様に、心より深くお悔み申し上げます。

私たち「志縁」は、震災直後、物資支援で南三陸町歌津地区を訪れ、現地の絶望的な実情を目の当たりにして以来、被災地の現状を「フリーマガジン」という媒体で全国に伝え、震災の風化を防ぎ、支援したい方と支援されたい方を繋げる活動を継続しております。あの日の経験、想い、そして現地の人々のお言葉の一つ一つが、今なお私たちの活動の礎として、心に深く刻まれております。

震災による犠牲者、ご遺族の方々、ならびに甚大な被害を被った方々に、改めて心よりお悔み申し上げると同時に、同じ「日本人」として、少しでも皆様のお役に立てるよう今後とも尽力いたす所存です。

「フリーマガジン志縁」制作部一同





 2011年3月11日14時46分、私は大阪の会社ビルに居た。長い横揺れの後、大阪市内で配られた号外新聞にて東北地方の甚大な被害を知る。テレビやネットで連日流れるニュースに、日本人として何かできないかと思い、車で宮城県へ行き在宅被災者を中心に物資を配って回った。以前に仕事で訪れた東北の景色は、変わり果てていた。

 関西へ戻ると、勿論全員では無いが、震災を他人事と考える人も多く、同じ日本人としての道義的な違和感と危機意識の薄さを痛感した。日本は世界に稀に見る地震大国であり、日本列島付近には四枚のプレートの境界線と約二千の断層が存在する。また地震以外にも台風や噴火といった自然災害で、毎年多くの犠牲者が出る。日本に住む以上は想像力を働かせて、自然災害への備えを行う事が必要不可欠なのだ。東日本大震災から1年、過去の惨劇で終わらせず、まず我々国民一人一人がこの現実を再認識し、災害が起こった際に自分自身や家族を守る為にどういう行動をすれば良いかを考え直す機会にして欲しい。また同じ日本人として、互いに助け合う精神を見つめ直して欲しい。

 この二月に再び宮城県を訪れた。沿岸部ではただ瓦礫を撤去しただけの地域も多く、多くの人々が仮設住宅での生活と復興の将来像に不安を抱かれていた。ようやく二月に復興庁が設置され、今後震災復興には多額の国費が投入されるが、そこには守りと攻めの視点が必要である。守りは災害に強い町作りであり、ライフラインの整備といった被災地の生活の根幹を守る部分。そして攻めは、費やした国費をどう将来に生かし、いかに持続的な「新」地方経済モデルを構築していくかだ。

 そもそも震災前の東北地方は、政令指定都市である仙台市を除けば、漁業、農業といった第一次産業の担い手が多く、人口減少と若年層流出による高齢化問題を抱えていた。食糧自給率が低いこの国で、第一次産業にて東北地方が果たす役割は確かに重要だが、この分野に過度にこだわるべきではない。事実、震災後も食材の調達不能や過度の価格高騰は無かった事を考えると、東北の第一次産業は他地域での補填が可能なのである。つまり第一次産業では集約とブランド力の強化を行い、海外を含めた他地域との競争に打ち勝つ産業モデルを育成し、同様に将来性のある第二次、第三次産業を育む必要がある。この悩みは日本の各地方都市も抱えており、その結果原発誘致といった一時的な活性化策が採られてきた。今後東北地方では、復興の為に建設業等の雇用は生まれるが、それは一過性のものである。何よりも重要なのは、復興後の町に産業と人が残る社会構造を戦略的に作り上げていくことである。

 日本国自体が少子高齢化や製造業空洞化、債務超過といった様々な問題を抱えている今日では、東北の復興は日本の復興モデルと位置づける事ができ、我々は東北地方の復興に参画意識を持つべきである。今回の震災ではボランティア活動を中心とした、日本を想う若年層の活躍があった。一方では東北地方を始め、元気な高齢者も多数おられる。まだまだ日本の底力はこんな物じゃない。次の一年は復興についての建設的で戦略的な議論と行動を期待したい。


2012年3月11日 フリーマガジン志縁 代表 猪上篤志
(フリーマガジン志縁 創刊号より引用)





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